日々うたかた

双極性障害の女

2020-02-18 生き苦しいねという話

世の中に間違いは幾らもあるのに、確固たる正しさというのがなくて、絶対的に縋れるものがないというの、結構厳しいな〜と思っています。

例えば、ファッションに関して。好きな服を着たい気持ちと、社会に要請される服装でなければという思いが、自分のなかでせめぎ合うことが度々あります。わたしはガーリーな服装が好きで、かわいらしい色遣い・柄のものを好んでよく着ます。しかし、「すこし年齢を考えたほうが…」という気持ちを抱くことがあり、なかなか思うような、好きな服装で出掛けることができません。年相応かつ田舎で浮かない無難な服装に落ち着いてしまいます。

ファッションって、自由でいいと思うのです。性別や年齢に囚われず、自分の好きなように楽しむことができるはずなのに、社会の要請という、曖昧だけれど強力な制約に縛られてしまうのです。

話がかなり変わりますが、創作を精力的にしていたときに、表現をすることに躊躇いを感じるときがありました。Aだと主張するとき、Bを否定してしまっていないか?とか、ストーリーの展開を劇的にするために他人を消費していないか?とか。

他人を消費すること、分かりやすい例をあげるとアイドルの方々なんかは、消費されることを仕事としている、と言えるのではないかと思います。その善し悪しはわたしには判断できないし、例えば「そういう職業はダメ」と言うと、それで生計を立てている方々や誇りを持って仕事をしている方々を否定することになるように思います。

誰かを傷つけてまで自分の意見を主張すべきなのかが、今のわたしには分からないです。誰も傷つかない発言なんて、思想なんてあるのかな。もう何年も前、「五体満足に産んでくれた親に感謝」みたいなツイートに「うちの妹は生まれつき身体障害があり、あなたのツイートを見て悲しくなりました」というようなリプライがついていたのを見かけたことがあって、なかなかそれが忘れられないでいます。クソリプだと一蹴することは簡単ですが、それだけで済む話ではないように思うのです。

社会通念に縋れれば生きられるなら、そうするのがいいと思うのですが、その社会の要請に制約を受けたり傷つけられたりしているひとは、どうすればそのひとらしく、ありたいように生きられるのでしょう。絶対的な正しさなんて存在しないのに、どうすれば自信を持って自論を正しいと信じて主張できるのでしょう。


このお気持ち表明がなんの価値を持つかも分からないけど、書き留めておきたいと思ったので書きました。とりとめもないしうまくまとまらないし、やっぱりよく分からないです。