日々うたかた

双極性障害の女

2020-02-17 京都に行ってきた

わりと突発的に京都まで行ってきました。
2/14の夜中に出発し、今日の朝帰宅しました。行き帰りどちらも夜行バスだったのですが、それほどきつくなくて、というか余裕だったので(バスは満席でしたが)、「ええやん夜行バス!」と思いました。

京都水族館に行くぞ!といいつつ、近くの公園でしばらくぽやぽやして、結局水族館はショーの声を外から聞いただけで満足してしまい、ショップの商品を眺めて楽しみました。オオサンショウウオのぬいぐるみ、以前よりずっとかわいくなっていてよかったです。

鴨川を見ながらカフェでボロネーゼ風のパスタをいただいたりもしました。ねこがかわいかったです。

そして本物のカワウソと触れ合ってきました…!!とってもとってもかわいくて、気がついたらカワウソ語を話していました。手のひらがぷにぷに、おなかがふわふわでぷんよりしていて、尻尾も触らせてくれて!!たまらなかったです……時間があっという間に過ぎて行きました。

これがとっても感動的な体験だったのですが、「ギア」というノンバーバルパフォーマンスの公演を見ました。ストーリーも舞台演出も演者さんも、何もかもが素敵で素敵で、ほぼほぼずっと泣いてしまってました。そのあとも感想を言うたびに泣いてしまって、感受性のぶっ壊れを感じました。
自宅に帰ってから、今日パンフレットを開いて見たら、「ああ、確かに自分はあの時間、あの空間にいて、演者さんやお客さんと居たのだな、あの場に存在していたのだな」としみじみ思ってしまって、また泣きそうになってしまいました。

長いこと(大した年月生きてないけど)、生より死を見詰めて生きてきたな、と思います。そんななかで、生きるぞ、と決めたことに起因するのか、自分が存在すること、誰かの存在と交わること、重なること、触れること、そういうことに対する感動が生々しく湧いてくるようになりました。これが「生の実感」というものなのかもしれないですね。
この頃は、わたしのために時間を割いてくれる方々に感謝する気持ちがつよいのですが、本当に、時間を共有することの素晴らしさみたいな、うまく言えないけど、そういう感覚を持てることがすごくうれしいです。
自身の存在を実感できるということは、手を握ったら、握り返してくれる、その心強さやうれしさと、似たような感覚のように思います。

「おそろいの思い出」という概念は、もしかするととてもかわいいかもしれないですね。

お手洗いにお土産を置き忘れたり(回収しました)、スマホをカフェに置き忘れたり(店員さんが呼び止めて持ってきてくれた)、自分のそそっかしさを強烈に感じた2日間でした。楽しかったな。