日々うたかた

双極性障害の女

2020-05-12 最近のこと

大学のレポートを3つやっつけました。

この頃は比較的症状も安定していて、だいぶ生きやすいです。過眠ぎみで生活時間が愚かなことになっていたりもするけど、気分が果てしなく落ち込んだりはしてないのでうれしいです。

日々何かしらの学習は進めています。3科目倒したので、次の3科目に取り掛からねば。フェミニズムの本を読むか、英文学を読むか、はたまた政治学をやるか……。本は読み終えたら、またこのブログで共有できたらと思います。

そう、論理的な思考があまりに苦手なので、すこしずつ論理学の勉強もしたいなと思っています。冬にはレポートが出せたらいいな。同時に数学の勉強をようやっと始めました。まずは中学校の復習から。ケアレスミスがたくさんあって、自分の不注意加減に嫌気がさしそうです。
前に大学生やってたころのレポートを引っ張り出して読んでみたのですが、よく単位もらえたね!?と思うくらい、もうエッセイみたいな内容・語り口で身体中が穴になってめり込みたくなりました。心の底から、論理的思考ができるようになりたいと思う気持ちでいっぱいです。サンタさんに頼みたい本当に。

睡眠時間が6時間で済めば、1日に18時間は過ごせるのですよね。これはすごい発見です。過眠で半日以上寝てた生活はなかなかにゴミです。

絵も描いたり、勉強会等々の活動も出来たらなと思います。かなりポジティブなので文章から躁が溢れ出てる気がします。今日も生きようね。

2020-04-26 ジュネを読んだりした

久しぶりにまったく夜中に眠れませんでした。この頃は外出もぜんぜんしていなくて、ただ流れていく時間を眺めて過ごすような日々です。十年来の友達とカフェでたまにおしゃべりしたり、すこし街に出て買い物をしたり、そういう何気ない日常が制限されて、やっぱり息苦しいです。
どうしたってこの現状を変えられるような力はわたしにはなくて。いつ新型コロナが終息するのかわからない、もやもやした気持ちで頭が侵されています。

そういえば、ジュネの『花のノートルダム』を読み終えました。

おもしろい部分はあったけど、ひとに薦めたくなるほど気に入ることはありませんでした。
性描写に関して、語彙をもう少し工夫すれば官能小説のような、ある種の美しさを表せるのでは……?と思ったりもしましたが、原文で露骨なワードが使われているならそれは仕方なく訳すしかないのでしょうね。ちんぽこ。羽のはえたちんぽこ。

同じくジュネの『薔薇の奇跡』も、この機に読もうと思って、読み始めました。

薔薇の奇跡 (光文社古典新訳文庫)

薔薇の奇跡 (光文社古典新訳文庫)

こちらは『花のノートルダム』よりも小説としての体裁が整っていそうです。そのなかでどのようにジュネらしさが出てくるのか、楽しみです。訳者の方がなんと宇野邦一さんで、ずっと読み進まない『アンチ・オイディプス』を訳した方でした。ドゥルーズに師事なさっていたという経歴を見てヒャッと声が出ました。わたしも小林秀雄に師事したかったです。

そう、図書館が開いていないから、読みたい本を読めずにうずうずしています。サルトルの『聖ジュネ』も併せて読もうかな、という気持ちがぽこぽこ湧いてくるのですが、購入するには愛が足りないので、図書館で借りて済ませたいのです。他にも、グレーバーの『負債論』とか、ベンティーン『皮膚』とか、高価な本はなるべく借りて読みたいです。節制。

勉強のほうですが、レポートに着手する踏ん切りがつかなくて、延々とウヨウヨしています。それでもすこしずつは進められているので、ちゃんとその頑張りは認めていって、必要以上にネガティブにならないように気をつけます。自分を追い込みがちなので……。

この日々を越えた先にどんな未来があるのか見当もつかなくて、不安ながらも、ほんのすこしだけワクワクしています。革命を待っていたので、こんな形では大分不本意ですが、それでも。
じぶんの人生を諦めないでいたいです。今日も生きようね。

2020-04-11 ひどい雑記

多様性なんてクソ食らえだという気持ちになっています。

「個性」というのはわたしには重大な問題であって、個性がないと思われることを恐れていた。「個性」こそがわたしをわたしにしてくれるものだった。
奇を衒うことはしなかったけど、周りから「変わってる」「初めて会うタイプ」などの言葉を掛けられては安心していた。「わたしには個性がある」と。

一方で、画一化されてしまえば、個性がないことの言い訳ができる、と思っていた。大学では公務員講座を受講した。結局、病気になってすべて受講できなかったし、二度と公務員は目指さないと思う。

型で押したような社会人生活がしたかった。残業から帰って、スーパーで買った惣菜を、だらしない部屋着のままで食べ、カシュッと一缶あける生活。
こんな生活はいまのところ実現しそうにないし、未だにビールは苦手。

今。多様性の叫ばれる社会になり、わたしのような社会的ゴミ(弱者と言え)にも、生きる権利があるらしい。親に無限に迷惑を掛け続け、それでも生きてと願われるのはすこし心地がわるい。こんな中途半端な個性と、うまく回らない思考、不十分な能力、そんなものしか持たない人間に、何ができるか、わたしは知らない。

すべて画一化されてしまって、社会からきっぱり排除されてしまいたいよ。

2020-04-07 雑記

ここ数日、割合ちゃんと勉強できた気がします。とは言え基礎の基礎からやりなおしているのだけど。
前の大学に居たころに使っていたワークブックを引っ張り出したら、一応最後まで使ってて、それなのに全部きれいに忘れてしまっているので、気持ちが儚くなりました。
英語は中高の6年間でセンター試験とかのレベルまで達していたのに、フランス語の不出来具合は何!?と思ったのだけど、そういえば小学生のときに国際交流という名のいかにも「たのしいえいご!」みたいな授業があったなあ、とふと思い出して、わたしが今までやってきたフランス語は「たのしいふらんすご!」だったのだと納得しました。これから中高レベルのをやっていく感じの心づもりで挑みます。

某大学の通信課程に受かったので、教科書等が届くのを待っています。世界がこんな状態になってしまって、大学の事務局も窓口業務を休むことになったので、例年通りには教科書とか届かないかもしれないな、と懸念があります。届くのが遅くなればなるほど、レポートの期限が迫ってくるので、不安でいっぱいです。窓口業務をやってないから、問い合わせもできなくて、ひたすら待つことしかできません。

そんななかでも、フランス語の復習を進めたり(今日は複合過去とかやった)、和訳の練習をしたり、色々自分で出来ることを見つけて毎日机に向かっていたいなと思います。しばらく使っていた、大学受験用の英文法のワークも、今日で解き終えました。苦手が炙り出されて精神がきつかったです。

今年の桜は長持ちしているらしいです。例年通りなら、カメラ持って写真撮りに行くんだけど、なんだかそんな気分にもなれないまま散っていく花びらを眺めました。道路に吹き溜まっている桜の花びらが、風でくるくると踊る様子がとても好きです。4月も始まったばかりだけれど、きっと、あっという間に5月になるんだろな、初夏がきます。わたしの大好きな初夏。

2020-03-29 雑記

バイトの面接に行ってきたけど、めちゃくちゃ手ごたえがないため、帰宅即ほかのバイトに応募しました。

一昨日、うれしいことに某大学の通信課程の合格通知が届きました。4月から文学部生です。西欧の文化や歴史を学びつつ、英語やフランス語の理解を深められるようがんばりたいです。
3月の4週目は合否にそわそわしちゃって、あんまり生活をやれなかったように思います。これからはもっと人間に近づけるように、朝起きて筋トレするくらいのことはやりたいです。痩せたいので。

それから、以前に比べて、集中ができるようになってきた気がします。あくまで体感であって、実際はどうか分からないけど、前よりはよい、多分。それなので、本を読んだり、文法の復習をしたりというのがここ数日は出来ています。はちゃめちゃに基礎のレベルからやり直しているので、自分の理解の浅さ・記憶力の悪さが身にしみてつらくなったりもしますが、今のところはマイペースにぼちぼちやっています。

そういえば、半分読んで放置してたカントに関する本を読み返してたのだけど、また半分のところまで来たら飽きちゃいました。でも著書をガッツリ読む気力はないので、しばらくしたらまた再開しようと思います。

時間など諸々に余裕ができたら、安保闘争くらいから東大の安田講堂事件とかまでの色々を読みたいな、という気持ちです。鈴木道彦の『私の1968年』を開いたら、冒頭で小熊英二の著作にも触れていて、「キャッ」と声が出ました。小熊さんの『1968』は賛否両論さまざまらしいけど、ひとつの説として、よい解釈だなと思うので好きです。

文学を読み解くことに少なからず疑問を抱いていたけど、歴史を読み解くのは面白いかもしれないですね。岸田秀が『ものぐさ精神分析』で書いてたみたいな、外的自己と内的自己に当てはめて明治維新後を語るような……。

小林秀雄は歴史は解釈できるようなものじゃないって言ってたけど、いつかわたしもそう思うようになる日がくるのかな。「記憶力するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。」という一節はとても好きです。『無常という事』というエッセイ(?)に出てきます。

だいぶん眠たいです。みんなよい夢をみて、夢よりよい明日を生きようね。

2020-03-20 炎上したくないけどお気持ちは表明したい

今日もバイト面接の日程調整の電話がかかってきませんでした。

AIさくらさんの件に関して、お気持ち表明したくなったのですこしします。
まずわたしは、さくらさんには好意的な立場です。かわいらしい風貌、親しみやすくてよいと思います。
今回問題として取り扱うべきは、「セクハラ質問を容認する答えが用意されていたこと」と「利用者が実際にセクハラ質問をした」ことではないかなあとわたしは思います。

まず、「セクハラ質問を容認する答えが用意されていたこと」は、さくらさんの運営側の認識の甘さと詰ることもできますが、それ以前に、そういう質問が想定される世の中であることを問題視するべきなのではないかなあと思います。そして「利用者が実際にセクハラ質問をし」てしまった。やっぱりおかしいのは、社会に蔓延っている「セクハラ容認」の雰囲気ではないでしょうか。

運営側は、社会に合わせてセクハラ質問を想定し、対応した「だけ」と言うこともできると思います。しかし、社会の雰囲気が変わりつつある今、「セクハラ質問を容認する」態度で済ませてしまったのは、勿体なかったように思います。「その質問にはお答えできません」と物腰やわらかなまま、セクハラを拒否する回答を用意できていれば、今回のような物議をかもすことはなかったかもしれません。(さくらさんはあくまで案内などをするAIであって、フェミニズム的な問題提起をする存在ではないので、むやみに事を荒立てる必要はありませんから。)

そして、以前からさくらさんは各所で利用されてきたようです。つまり、高輪ゲートウェイ駅のためにつくられたものではないということです。それで今になって問題が発生したということは、利用者が増えたことが大きな要因ではないかと思います。利用者が増えた結果、「セクハラ質問」が為されてしまった。それはつまり、この社会の雰囲気や、我々日本人(クソデカ主語)の、モラルの低さの現れと言うことができるように思います。

問題が山積している世の中を悲観することは簡単ですが、パワハラやセクハラなどを「問題」として取り上げることのできる社会になってきたということは、わたしはよいことだと思います。これから先、この社会が発展し、言葉の暴力などがない、穏やかな世の中になってくれればよいな、と思います。そのための土台つくりとして、わたしたちは多少苦しむことになるのかもしれないですね。

2020-03-16 『ロリータ』を読んだ

『ロリータ』を読み終えました。

ロリータ (新潮文庫)

ロリータ (新潮文庫)

第一部がよかったです。ニンフェットへの偏執、性的倒錯、そういうものがしつこく描かれていて、気味が悪いくらいよかった。
第二部に関しては、後半、拳銃で誰を殺すのかずっと気になっていたのですが、結末は「そっか」って感じでした。「ロリータ」という神のような存在を崇拝し、犯し、愛し、そして身を滅ぼしていく小説としては妥当な終わり方だし、そうでなければ成り立たないのだろうな、と思いました。
一読者として、ロリータを殺してなお生き延びて法廷にいるハンバート氏を見てみたかったのはあるし、それとはまた別で心中する終わりとか、あ、情死の果てにハンバート氏だけ生き残るのはおもしろいかもしれない、いや、でもそういう小説ではないので。
気が向いたら第一部だけ読み返してみようかなと思います。

文学は読み解くためだけのものではない、というのが最近のわたしの考えで、ただ味わったり、好きな一節だけを取り出して眺めたり、そういう楽しみ方もよいなあと思うのです。物語のすべてが意図して描かれていたとして、その上で、その蜘蛛の巣のなかでゆらゆら揺られるような読み方もいいと思います。
どんなに緻密な計算が為されて書かれた物語であっても、筆の向くままに書かれた物語であっても、解読する・しないは我々読者の自由だと思うのです。オートマティスムで書かれた物語を、わざわざその文節まで解剖して詳らかに解読するようなやり方だって、気味は悪いけどおもしろそうです。

(私信)そういえば、意識や意図に関しての前提知識を持ち合わせていないので、知識の擦り合わせを望みます。気が向いたらお願いします。