日々うたかた

双極性障害の女

20-02-14 いのち

「いのち」という、泉まくらとラブリーサマーちゃんがコラボした歌がすごく好きという話をします。

 

泉まくら 『いのち feat. ラブリーサマーちゃん』 (Official Music Video)

 

平素は「いのちよりそのひとの思想や尊厳のほうが大事」「生き物はいのちというモノを持っているのではなく、ただ生きているだけ」等、いのちには手厳しめのわたしですが、この歌だけは手放しに好きって言っちゃいます。

音もすごくよいけど、何より歌詞が好きなんです。

 

若いままの勇敢な終わりに憧れたりした
ティーンの頃の私

歌い出しからスッと入り込んじゃう歌詞です。「若いうちに死んでしまおう」って思うこと、これは結構どなたにでも経験やら共感やらがあるのではないかな、と思ったりします。

わたしも「20歳までに死ぬ!」等々、若い頃(いやいまも若いです)は思うことがありました。実際、18歳の誕生日を生きて迎えるなんて思ってなかったし、難なく20歳の誕生日も来て、そのまま年に一回、毎年きちんと歳をとっています。

 

1番の歌詞もとてもよいのですが、2番に飛びます。

 

お互い越えてきたであろう
もろもろを 目の奥の本当を
暴き合わないで 受け止める 包み込む
側にいることで証明する

は???よすぎか?????という気持ちになりますね。こういうスタンスを積極的にとる人間でありたいな……って思うのです。「暴き合わないで 受け止める 包み込む」ってよすぎないですか???理想の理想すぎて語彙力なくなっちゃうや。

 

足下に溜まった後悔を掬って眺めても
気づけば泣きたいことだらけでも
生きるなら今日以外にない

はい〜〜〜!!!ここがいっとう好きなんです。

すごくすごく後悔していること、幾つもあって。振り解いてしまった手、そっと離してしまった手、届かないままの手、どれも耐えがたいくらいの悲しみがあります、何年経っても。

「足下に溜まった後悔」をその手で「掬って眺めても」、わたしの手をすり抜けてこぼれ落ちてしまったいのちは、戻ることはないのです。幾ら眺めたって、悲しみや更なる後悔しか、そこからは生まれないのです。

ほんとに、「気づけば泣きたいこと」ばっかりの過去になっちゃって、それでも、「生きるなら今日以外にない」んです。わたしたちはどうやったって、過去に戻ること、過去を生きることはできないのですから。

 

夏目漱石の有名な『こゝろ』という小説があります。あまりにも有名なので粗筋は割愛します。

「先生」は戻れない過去をずっと繰り返そうとしているようにわたしには思えるのです。だけど、過去を生きることはできない、かと言って今を生きるには悲しみや後悔が深すぎる、そんなふうに見えます。

わたしの主観が入りまくった、自己分析か?みたいな考えですけれど、似たような経験をした(と言わせてくれ)人間として、そう思うのです。だけど、「生きるなら今日以外にない」。

 

以前のわたしは「この先、どんなふうに生きたい/なりたい」か、って漠然と考えることが多かったのです。色々巡って答えは「生きたくない」にいつも辿り着くのですが、ふとした気づきを得たときがありました。「生きること=自分の時間をつかうこと」なんだなって、そう思った瞬間、「それなら好きなように時間つかいたい!!!!」って思ったんです。気づくの遅すぎか?というのは置いておいて、この気づきはわたしにとって革命的で、実際ここから、先日の「諦めて生きることにしたい」という思いに繋がりました。

 

そんな思いをつよめてくれるのが、この「いのち」という歌です。

 

いのち feat. ラブリーサマーちゃん

いのち feat. ラブリーサマーちゃん

  • 泉まくら
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥255

iTunesも。聞いてみてね。

 

ちょっぴり長くなっちゃったな。

それでは、今日も生きましょう。